VOICE

参加者の声

公開日:2022.01.14

Leadership is Strategy, Execution and Talent:日米学生会議は、未来のリーダーへの第一歩

第22回日米学生会議米国側参加者、日米学生会議同窓会会長。タイコエレクトロニクス ジャパン合同会社 名誉顧問。米スタンフォード大学経済学部卒業後、日本エー・エム・ピー株式会社入社。後に同社代表取締役会長及び全世界地域のコンピュータ・家電ビジネス及び全アジア地域におけるビジネスを担当。米国本社AMP Inc. のTyco International Ltdによる買収に伴い、Tyco Electronics Corp. Senior Vice President(上級副社長)に就任し、その後 President(ビジネス担当社長)に就任し、Tyco International Ltd. より独立したTyco Electronicsをニューヨーク株式取引所(NYSE)にて株式を上場させる。2011年、社名をTE Connectivityとし、現在の時価総額は、約6兆円。2018年末まで、 タイコ エレクトロニクス ジャパン合同会社 代表取締役会長及び Senior Advisor to the CEO, TE Connectivity Ltd.を務めた。2019年 スタンフォード大学にMinoru Okamoto Undergraduate Scholarship Fundを設立。
岡本 実(おかもと みのる)第22回日米学生会議

【日本人としてのアイデンティティを探して日米学生会議へ】

岡本さんは、1970年に開催された第22回日米学生会議に米国側参加者として、参加されたと伺っておりますが、どのような経緯でご参加されたのですか。

私は、1962年、12歳で米国に単身で留学し、スタンフォード大学を卒業するまでの計10年間を現地で過ごしました。当時の私は、ケネディ大統領が設立したEducational Excellence Programに全米の小学生7年生を対象に行われた数学の試験から選抜され、飛び級をしながら数学を学んでいました。Educational Excellence Programは、ソ連が有人飛行を成功させたことをきっかけに、米国でも将来リーダーとなるエンジニアや科学者を育成することが目的でした。プログラムでは、高校までに大学レベルの数学を学び、結果として、私はオレゴン州で一番の成績を収め、SATも800点満点でした。1968年のスタンフォード大学の新入生1,200人には、EEプログラムの一期生が、4人いました。その4人は、第一四半期から、大学院レベルの数学を学びました。そして、1970年の夏、第22回日米学会議がスタンフォード大学にて開催されることを知り、日本国籍ではありますが、米国側参加者として会議に参加しました。

 

当時は、どのような思いで第22回日米学生会議にご参加されたのですか

第22回日米学生会議は、現在の3週間のプログラムとは少し異なり、1週間で日米の学生が大学の寮で共同生活をしながら、議論やコミュニケーションを図るものでした。1970年当時、ベトナム戦争が背景にあり、キャンパス内では頻繁に反戦運動が行われ、警察沙汰にもなっていました。また、人種問題に対する学生運動も激しく、キャンパス内は常に混沌としていました。このような日常に触れる中で、私は改めて日米関係について議論したいと思いました。それに加え、単身渡米から8年が経ち、一度しか日本に帰国していない自分のアイデンティティについて深く考えるようになっていました。そこで、日本の学生と私自身のアイデンティティについても話し合いたいと思いました。

 

実際に参加された第22回日米学生会議はどのようなものでしたか。

私は、日本語が話せたことから言葉の壁もなく、日本側参加者と早い段階から打ち解けることができました。日米両国を一定レベルで理解していたため、他とは異なる視点を提供することができ、休憩時間に日本側の参加者と雑談できたり、様々な面で会議全体をサポートできたと思っております。結果として、日本側参加者の方​との​付き合いが多かったです。特に、同じスタンフォード大学から参加したグレンフクシマさんとは会議後50年以上の親交があります。また、今ではグレンの奥様である橘・フクシマ・咲江さんも日本側から参加されていました。日本側の参加者と話し合う中で、自分が日本人だということを再認識し、卒業後は日本に帰国することを決断しました。

スタンフォード大学にて:2列目中央が岡本氏

 

【日米学生会議後のご活躍について: グローバルカンパニーが支える日米関係】

会議後、日本に帰国されてから、岡本さんは外資系の会社でビジネスの側面から日米関係を支えてきたと伺っております。現在までの道のりについてお聞かせください。

第22回日米学生会議後の決意を胸に、私は1972年に帰国し、外資系の企業である日本AMPに23歳で入社しました。その後の10年は非常に順調で、25歳で管理職、33歳で年商300億くらいの会社の営業本部長を務めました。しかし、いよいよ社長に就任できると期待していた時、値上げや戦略計画の実行において人を動かせず組織を活用出来ず、失敗してしまいました。そこで、マネジメントについて改めて学びたいと思い、日本AMPを離れ、修行いたしました。後に、再び同会社に戻り、45歳で社長になり、23年間日本法人の社長、会長を務め、グローバルのトップも12年間務めました。この経験の中で最も印象に残っているのは、2007年にNew York Stock Exchangeのオープニングベルを鳴らしに行ったことです。このようにビジネスにおいて日米の架け橋と成れたのは、日米学生会議の経験があってのことだと思います。

2007年 New York Stock Exchangeオープニングベル:1列目左が岡本氏

 

【近年の日米学生会議を見て】

岡本さんは、現在、日米学生会議同窓会会長を務めておられます。OBとして、現在の日米学生会議についてどのようにお考えでしょうか。

日米学生会議は、今のように3週間プログラムになってから大きく変わったと思います。期間が長くなったことで、より充実したプログラムや相互理解、友情を築きあげる機会も増えました。プログラムを通じて、「体験を共有する」ことが何よりも重要だと思います。同じ体験について話し合い共同生活をする中で、喧嘩をすることもあるかもしれませんが、それを通じてさらに深い友情を築きあえると思っています。昨今の日米学生会議の参加者も高倍率の中から選ばれる積極的な方が多く、活気あふれるものになっております。OB会としても、この素晴らしいプログラムが、持続するよう学生の皆さんをサポートしていきます。それは、日米学生会議がLife Changing Experience だと言う事を、学生の皆さんに伝えることだと思います。私もスタンフォード大学に私名義の奨学金を設立しました。米国の学生さん達も、サポートしたいと思っています。

 

【応募を考えている皆さまへ】

日米学生会議は、非常に優秀なリーダーシップを育てる場だと思います。まず、学生が会議に参加することを決断すること、選考に合格すること、参加者になったら議論をし、プログラムを実行していくこと。これらは全て、リーダーに必要な経験と資質です。また、これらを英語を使って国際レベルで経験できることは自信にも繋がる有意義な経験です。私の好きな言葉は、リーダーシップとは、戦略、実行、人材です。Leadership is Strategy、 Execution, and Talent.  リーダーシップとは、戦略を作り人材を育て実行することです。それを、実行するツールとして、Power of Five (パワーオブファイブ)を、考えました。まず、強い戦略を作ります。そして、その戦略のチャンピオンを5人作ります。それぞれのチャンピオンが、5人の実行者を作ります。それぞれの実行者も5人のサポーターを作ります。そうすれば、一生懸命1人で出す結果の125倍の結果がだせます。つまり、1人だけだと限られます。どう人を動かすのか、人を動かすためにはどう説得するのかを考えていく必要があります。日米学生会議は、Strategy、 Execution, and Talent を体験する最高の機会だと思います。ぜひ、勇気を出して未来のリーダーへの第一歩を踏み出してください。

Always Go Forward, Never Turn Back!

いつも振り向かないで前進あるのみ!

編集後記

野澤玲奈(第72回日米学生会議実行委員)
早稲田大学 文化構想学部 国際日本文化論プログラム
第72回日米学生会議ホームページ担当