VOICE

参加者の声

挑戦は待っていてもやってこない。
-JASC69参加者、70副実行委員長(アメリカ開催)。九州大学法学部卒。現在はSchwarzman Scholar として清華大学の修士課程在籍。大学時代から日本の民間外交に関心を持ち主に米中韓に係る活動に多く参加。Bai Xian Scholarとして香港大学にて中国研究を行う。その過程を通してアジアの「人」の繋がりを深める必要性を感じ、アジアのヤングプロフェッショナルの為のプラットフォーム兼、メディアTHE LEADS ASIAを設立。自身の幼少期や米国のNPOでの活動の気づきから「新しいキャリア教育」の実現のため教育団体MIRACTを設立。 2019年One Young World日本代表、2020年にGlobal Shaperに選出、2021年7月からFukuoka HUB Vice Curator。毎朝5時起き&朝ランは14歳の頃からの習慣。-

佐々木彩乃(ささきあやの)第69回参加、第70回副実行委員長

【日米学生会議との出会いと参加理由】

本日はどうぞよろしくお願いいたします。まず簡単に自己紹介からお願いします。 

よろしくお願いします。私は現在Shwarzman Scholarとして清華大学の修士課程に在籍していて、同時に「新しいキャリア教育」実現のため教育系NPO「MIRACT」の設立・運営や、アジアのヤングプロフェッショナルを繋げるメディア兼プラットフォーム「THE LEADS ASIA」の設立・運営に携わっています。九州大学法学部在籍時代には、Bai Xian Asian Instituteという財団の奨学生として香港大学への留学、JENESYS外務省/韓国外交部 訪韓団学生団長、One Young World 2019 in London日本代表など、様々な課外活動に参加してきました。

でも、実は大学に入るまで海外経験は無く、パスポートを取得したことも無かったんです。私の色々な活動の原点、スタート地点が第69回日米学生会議でした。

 

ありがとうございます。佐々木様にとってスタート地点となる第69回日米学生会議には、初めどのようにして出会ったのですか。

確か偶然フォローしていたFacebookのアカウントの投稿を見つけたことがきっかけだったと思います。ちょうどその年は、本会議が終わった後の全体報告会で茂木健一郎さんが基調講演をなさっていて、その中継を地下鉄の中で聞いていたことを覚えています。実は私が高校生の時茂木さんにはお会いしていたのですが、「あの茂木さんに自分の人生が変わったと言わしめる日米学生会議ってすごい」と興味が湧き、チャレンジしようと決意しました。

関東の高校に通っていた経験から東京と九州の差も感じていたので、九州外の学生と関わりたいという思いやface to faceで話してみたかったのに加えて、国内に関わらず海外でも挑戦してみたいという思いがありました。この思いからアンテナは張っていたのですが「これだ」と思うなかなか機会が無かった。そんな時、偶然日米学生会議に巡り合ったという感じです。

 

九州大で行われた説明会に参加したことが大きかったと伺いました。

第69回会議の実行委員がキャンパスで説明会をしてくれて、その時の実行委員たちの話や、プロモーションムービーにとても心を動かされました。特にムービーにはアレン・マイナーさん(サンブリッチ・グループCEO、第35,36回参加)へのインタビューが印象に残っています。インタビューで彼は「広島の平和式典に参加した時に、アメリカ人として複雑な思いを抱いていた中、ボーイスカウトのグループから花束を貰った時、許された気がしてとても救われた。人生において忘れられない印象的な瞬間だった」と涙ながらに語っていました。私自身長崎出身で原爆や平和といったトピックには特別な思いがあるため、これを観て感動のあまり泣いてしまったことを覚えています。それまでは応募するにあたって不安も大きかったのですが、それからは「落ちるかも」という心配よりも「絶対応募しなきゃ」という決意の方が大きくなりました。

 

応募の決意に背中を押したのにそんなエピソードがあったんですね。応募する時はどんな思いを持ち、どんなことを期待していましたか。

3週間80人近くと衣食住を共にして暮らすという環境には相当怖気付いていた節もあって、さらに自分の英語にも自信が無かったので、正直不安は大きかったです。また、海外経験も無く、日本国内でも九州の期間が長かった自分にとって、アメリカや海外はとてもキラキラしたあまりに遠い世界でした。そんなアメリカ像が自分の中でどんどん大きく固まっていて、そこにいる人間たちと対等に分かり合うことなんてできないと思い込んでいたのだと思います。それは自分がアメリカから遠いアジアで育った人だからなのか、文化や言語が違うからなのか、憧れている節があるからなのか、自分でも分かっていませんでした。しかし、把握しきれない大きな国として自分が勝手に作ってしまったアメリカ像を壊したいという思いがありました。サンフランシスコやニューヨークだけがアメリカじゃない、アメリカ全国各地から集まる学生たちと交流して固定概念を打破したいという思いが強かったですね。

 

第69回日米学生会議のファイナルフォーラム。約3週間のプログラムの集大成として参加者がプレゼンテーションを行います。

 

 

【第69回日米学生会議から得たもの】

まさに一念発起して応募を決意されたんですね。晴れて参加者として選抜された第69回日米学生会議では、どのような経験が得られましたか。また、一番印象に残り、現在につながるような学びはありましたか。 

一言で言えば、一人の人間としてとても成長できたと思います。第69回会議には大学2年生の時に参加したのですが、周りの参加者は日本人でも英語が堪能だったり名門大学の大学院生だったりして、最初はかなり気後れしていました。しかも、英語が十分でないと思い込んだり、九州にいる自分に勝手に引け目を感じていたこともあり、最初は議論の中でも発言することに臆病になっていました。

しかし、3週間一緒に生活しているうちに、「すごそうな大学生も大学院生もアメリカ人も日本人も、全員同じ人間で、同じように苦しんで、同じようにもがいて、同じように一生懸命生きているんだ」と気づけたことが大きかったです。遠い存在に感じていた尊敬する学生も、自分と同じようにストレスを抱えて悩む姿を身近に見たりして、みんな一緒の人間なんだという、当たり前だけどとても大事なことを実感しました。

 

まさに応募前に抱いていた「自分の中での固定概念を打破したい」という思いが結実していますね。そう言ったことに気づくうちに、本会議中でどのような変化が起こりましたか。

「発言できない」という気後れや心配よりも、途中からは「自分にしか言えないことって何だろう」と、自分だけが生める価値について考えるようになりました。そうやって発言していくうちに、議論の中で周りの参加者に「That’s a great idea!」と言われて、純粋にとても嬉しかったことを覚えています。もしかしたら誰でも言えることを言っていただけかもしれませんが(笑)、それを言われた時に、自分を受け入れてくれるセーフプレイスとしてのJASCの価値を噛み締めました。

 

プログラム期間中、まさに原爆にまつわる議論の中でちょっとした事件があったということを伺いました。

ある日、一人のアメリカ側参加者が原爆をジョークに使っているのを耳にしてしまったんです。その彼は体格が大きく、明るくて、いつもみんなを笑わせてくれるような存在でした。長崎出身の人間として、一人の人間として許せないという気持ちはあったものの、その場で周りの参加者たちもそれを咎める様子も無く、当時の私には咄嗟に言い返す英語力も無く、その日は何も言えずにホテルに戻って悔し涙を流すことしかできませんでした。どうしたら良いのか分からないけどこのまま何もしないのは嫌だ、と思い立ち、翌日、実行委員にお願いして自分の思いを伝えるため朝の30分をもらいました。原爆について日本ではどのようなコンテクストで語られるのか、現代において原爆に対してどう向き合うべきか、そして原爆をジョークに使うことは受け入れられないというようなことを「私」の視点の共有という形で全員の前でプレゼンしたんです。プレゼンが終わると、原爆についてジョークを飛ばしていた彼が真っ先に私の所へ来て、泣きながら謝りながら、ハグしてくれました。他のアメリカ側参加者たちも、「この視点を共有してくれて本当に良かった、ありがとう」と次々感謝の言葉をくれました。この経験を通じて対話の大切さを痛感しましたし、未来のために双方から歩み寄ってコミュニケーションを続けていくことの大切さを身に沁みて感じました。

 

その場にいたアメリカ側参加者の価値観や人生も大きく変わる瞬間だったと思います。

先ほども言いましたが、最初、アメリカは捉えようのない「大国」としか思えませんでした。しかし、日米学生会議に参加して対話と議論を重ねるうちに、アメリカももちろん例外なく様々な人々が暮らす一つの社会であって、日本と同じようにより良い社会を作ろうともがく人間たちが生きている国だと実感できました。アメリカという国を国旗や政府組織ではなく、一人一人の人間の顔が思い浮かぶような対象として感じられるようになったことは、自分にとって大きな変化でした。  

 

 

【 第70回日米学生会議副実行委員長としての経験】

第69回会議に参加したのち、第70回では副実行委員長に就任されましたが、そこではどのような意識の違いがありましたか。

一言で言えば69回は自分が経験を「積みに行く」、70回は皆の経験を「仕掛けに行く」という意識の違いがありました。

第69回の参加者としては、いかに自分が経験を積みに行けるか、自分がどれだけ学べるか、自分がどれだけ皆との関係を構築できるか、というように、自分の成長に執心していました。しかし、第70回の実行委員としては、参加者がいかに成長できるか、参加者が「この夏があって良かった」と生涯にわたって思えるか、というように、徹頭徹尾「参加者ファースト」を意識しました。そのため、プログラムの中ではどのような企画や構成にすれば参加者の学びが深まるか、どのように多様なバックグラウンドを持った学生同士の化学反応を引き起こすか、というようなことを考えました。

また、実行委員会に対して気をつけていたこともありました。1年間もあれば実行委員会の中でも揉めたり喧嘩したりと色々なことが起きます。副実行委員長として、他の実行委員の一人一人の身体的・精神的健康状況を把握したり、それぞれの忙しさや置かれている状況に鑑みて全体の仕事を調整したりして、実行委員長のリーダーシップをいかに効果的に発揮させるか、というようなチームマネジメントにもとても気を遣っていました

 

 

第70回会議の参加者に対しても、実行委員一人一人に対しても徹底的な気配りをされていたんですね。「仕掛ける」という意味で、何か具体的に行動を起こしたエピソードはありますか。

自主研修で企画した中国研修はチャレンジングで、新しいことを仕掛けたという経験の一つです。日米関係を考える上で中国を欠かすことはできないという思いから、実行委員の自主企画ながら海外への研修を行うという挑戦を行いました。資金調達をクラウドファンディングで行ってみたり、現地で大手IT企業訪問や北京大学の学生とのディスカッションを企画したりと、新しい試みを70回では行いました。

 

一方で、第69回会議でやり残したことを拾いに行くというような気持ちもあったと伺いました。

第69回会議に参加した時に最初引け目を感じて遠慮していたことが心残りでした。「自分は価値を生めるのか」と悩むのではなく、素直に真正面から仲間や議論に向き合えばいい、そのことに早くから気づければよかったという後悔がありました。実行委員としては、第70回の参加者に自分と同じ思いをして欲しくない思いから、プログラムの企画や参加者へのコミュニケーションの面で気をつけてケアしていました。同じ悔いを後輩に残さないという意味で、自分の後悔を消化しようとしていました。

 

第70回日米学生会議実行委員のメンバー。

 

【日米学生会議での経験とその後の進路について】

最初にも仰っていましたが、日米学生会議に参加した経験をスタート地点として、その後大学院留学やNPOなど様々な活動を精力的に行われています。日米学生会議での経験や、そこで得られた人の繋がりはどのように生きていますか。

その後の進路を考える上でも、団体を運営する経験の意味でも、人との繋がりでも、日米学生会議は自分の中で全ての原点です。団体運営、企画立案、人の巻き込み方、これら全てがJASCの経験の延長線上にあると感じています。今でこそ清華大学の修士課程に在籍しているものの、最初は中国に行こうなんていう考えは全くありませんでしたし、4年前の自分はShwarzman Scholarshipで謳うようなグローバルリーダーという像には到底あてはまりませんでした。日米学生会議での経験に基づく思考や、人との繋がりが、NPOの設立や大学院留学などの挑戦に背中を押してくれました。

特にMIRACTやTHE LEADS ASIAでの活動では、人の巻き込み方や集め方など具体的なソフトスキルや、教育の重要性、機会がいかに人の可能性を解き放つかという気づきなど、日米学生会議で自分が学んだこが生きていると実感します。MIRACTの活動では、一緒に第70回実行委員を務めたロイ*が立ち上げにも協力してくれて、今でも数日に一回は雑談も含め連絡を取ります。直接的であれ間接的であれ、日米学生会議の経験が私のその後の生き方を変えています。

 

*李呂威さん(第69,70回)インタビュー

 

至る所に日米学生会議の経験が生きているのですね。実際に自らNPOを設立し、運営する上で、日米学生会議はどのような存在なのでしょうか。

自分にとって日米学生会議が原体験で、強く影響を受けていることを自覚している分、それを踏まえて自分が目指すところ、実現したい価値を問い直すことは強く意識しています。日米学生会議と比較するとか、日米学生会議を超えるとかではなく、社会に無いが自らが必要だと考える価値を生み出していくことを徹底的に考えることが大事だと思います。

また、日米学生会議で出会った人々にはとても助けられています。先ほど挙げたロイはもちろん、MIRACTで行ったアイデアコンテストの審査員には日米学生会議の先輩に来てもらったり、新しい企画やファンドレイジングの壁打ちお願いをしたりと、色々な場面でJASCコミュニティーに支えられています。新しいことを独自に生み出すことは相当なエネルギーを必要としますし、自分がやっていることが本当に正しいことなのか、自分が一番自分を疑ってしまうこともしばしばです。そんな時に、誤りを正面から指摘してくれる、その一方で自分の取組の価値を認めて背中を押してくれるJASCコミュニティーは、自分にとって大切な場所です。

 

 

本会議が終わった後もずっとセーフプレイスとしてのJASCが続いているような感覚ですね。

佐々木様は今も色々な活動を通して未来に対して「仕掛け」続けていますが、今後10年20年スパンではどのようなことをしたいと考えていますか。

20代だからこそ、何らかの形で政治に関わりたいと考えています。

これまで「コミュニティを創る」ことに取り組んできました。「みんなの学校生活をより良くするには?」「みんなが楽しく活動するには?」「みんなが自発的に学ぶには?」そんな問に答え続けることが私にとって心から楽しめる活動です。

日本財団が行ったインタビューで、「日本の将来は良くなると思う」と回答した18歳未満の若者の割合が10%を切っているという衝撃的な統計結果が出ていました。一方で、ある省庁が行ったインタビューでは、過半数近くの18歳未満の若者が「将来も日本に住み続けたい」と回答したと聞きます。せっかく日本に住み続ける若者が多いのであれば、日本の若者が自分の生き方を自分で作り上げられる社会構築の一助に自分がなりたいと考えています。

更に、九州で育ち、アメリカに深く関わり、中国の大学院で学ぶというバックグラウンドを持ったが故に、今改めて地域協力の重要性を痛感します。日本人といったアイデンティティーは比較的持ちやすいですが、アジア人というアイデンティティーが能動的に持たれることはほぼありません。しかし、昨今の経済協力関係の状況や新型コロナウイルス感染拡大への対策を通して、地理的近接性が重要だと考えます。21世紀、22世紀そしてその先の未来を見据えて、アジアという地域と一緒に何ができるかを考えたいです。

今やっている色々な活動は全て、このような未来を見据えて、自分が学び続けるための場所でもあります。

 

【応募者へのメッセージ】

最後に今後の会議に参加を希望する学生に向けてメッセージをお願いいたします。

「挑戦は待っていてもやってこない」というメッセージを贈りたいです。日米学生会議ではもちろん様々な素晴らしいプログラムが用意されていて、その一つ一つでできる経験はかけがえのないものです。しかし、受動的に何かを期待していくというよりも、自らビジョンを持って能動的に動いてこそ、日米学生会議から得られるものは大きくなると思います。これから日米学生会議に参加する皆さんは、自ら貪欲に動いた分だけ自分の可能性を解き放ってくれる場所として日米学生会議を捉えられる人であって欲しいと思います。

自分が変えていく、仕掛けていくという意識を持って、充実したJASCライフを送ってください。応援しています。

 

編集後記

反後元太(第73回日米学生会議実行委員)
東京大学 教養学部教養学科
第73回日米学生会議ホームページ担当