VOICE

参加者の声

公開日:2026.08.18

問いが未来を拓く:日米学生会議で培った研究者としての原点

東京大学大学院総合文化研究科教授。大阪外国語大学卒業、名古屋大学大学院を経て、香港大学大学院で博士号(Ph.D.)を取得。中国日本大使館専門調査員、早稲田大学准教授などを経て現職。著書に『香港 あなたはどこへ向かうのか』『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告』(新潮選書)など。第24回正論新風賞受賞。
阿古智子(あこ ともこ)第44回日米学生会議参加者、第45回日米学生会議実行委員

【日米学生会議との出会いと参加理由】

日米学生会議に参加しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

大学時代、アルバイト先のコンビニで一緒に働いていた方が、雑誌の広告に掲載されていた日米学生会議の参加者募集の記事を見つけてくださったんです。「阿古さん、受けてみたらどう?」と声をかけていただいたことがきっかけでした。

 

【第44回日米学生会議での経験】

第44回日米学生会議を通して、どのような学びや気づきがありましたか。

かなりカルチャーショックを受けました。

参加者のほとんどが東京の学生さんだったんです。私は大阪外国語大学に通っていて、当時は東京へ行くこともほとんどありませんでした。皆さん、視野が広くて、多くのことを知っているんですよね。その中で議論についていくのも大変でしたし、自分自身の世界の狭さを感じることもありました。一方で、自分が生きてきた世界とはまた違う場所で、さまざまな経験を積んできた学生たちと出会えたことがすごく新鮮でした。

また、アメリカの学生との英語でのディスカッションには苦労しました。留学経験のある参加者を見て、「どうしたらあんなふうになれるのだろう」と思っていましたね。

しかし、その経験は大きな原動力にもなりました。後に香港大学大学院で博士論文を英語で執筆できたのも、日米学生会議で抱いた「もっと頑張りたい」という思いや、多くの仲間から受けた刺激があったからこそだと思います。

JASC参加時の写真

最も印象に残っている出来事はありますか。

日本開催の本会議中に、参加者全員で実家のうどん店を訪れたことです。母を早くに亡くし、子供三人を育てながら、父が一人で懸命に営んできたお店で、日米の仲間たちと思い出を作れたことは、今でも忘れられません。父は国際情勢にも関心があり、普段から一緒に討論番組を見ながら議論していました。だからこそ、日米学生会議への参加も温かく応援してくれたのだと思います。

ご実家のうどん店にて:JASCの学生達と

第45回日米学生会議:実行委員としての挑戦】

第45回日米学生会議では、実行委員としてどのようなことを大切にされましたか。

第45回日米学生会議の日本開催では、学生同士の交流にとどまらず、社会とつながる場をつくりたいという思いで運営に取り組みました。

例えば、国連の選挙監視活動中に亡くなられた中田厚仁さんの遺族をお招きし、ボランティアや国際貢献について考えるセミナーを開催しました。

こうした企画を実現するため、協賛企業や自治体との調整を重ね、多くの方々の支えをいただきました。その交渉の中で特に印象に残っているのは、「なぜ学生の国際交流を支援する必要があるのか」と問いかけられたことです。この経験を通して、日米学生会議が社会にもたらす価値や、若い世代の国際交流の意義について改めて考えるようになりました。

日米学生会議は、戦前から国家間の相互理解を育んできた歴史ある団体です。学生という、まだ社会的な立場や利害にとらわれすぎていない時期だからこそ、率直な議論を交わし、将来につながる信頼関係を築くことができる。その思いを大切にしながら、プログラムを運営していました。

また、日本側は比較的組織的に進める一方で、アメリカ側は個々の自由な発想を重視するなど、文化や価値観の違いを感じる場面も多くありました。しかし、そうした違いに向き合い、お互いを理解しようと対話を重ねる過程そのものが、日米学生会議ならではの大きな学びだったと思います。

【問い続ける姿勢が研究者への道につながった

中国研究を志したきっかけは何だったのでしょうか。

高校生の頃に天安門事件がありました。隣国で起きた大きな出来事を見て、アジアに対する関心を持つようになったんです。大学では英語に加えてアジアの言語を学びたいと思っていました。最初はベトナム語にも興味がありましたが、先生の勧めもあって中国語を学ぶことにしました。そこから中国社会への関心が深まり、中国を研究対象として考えるようになりました。

香港大学 博士課程修了時の卒業式にて

現在の研究者としてのキャリアにつながる転機を教えてください。 

香港大学留学中には、中国各地でインターンシップやフィールドワークに取り組みました。国連開発計画(UNDP)北京事務所では教育プロジェクトに参加し、湖南省の農村では約1か月半にわたり住み込みで調査を行いました。

その大学院時代に出会ったのが、エスノグラフィーという研究アプローチでした。研究対象となる人々の生活や活動に入り込み、共に過ごしながら理解を深める参与観察を重視する手法です

日米学生会議に参加して以降、私の中には「将来は国際機関で働きたい」という思いがありました。現場に入り、支援を必要としている人々と関わりながら社会課題の解決に携わりたいと考えていたんです。もともと人の話を聞くことが好きで、コミュニケーションを取りながら調整することも苦ではありませんでした。

フィールドワークを重ねる中で、現場に身を置き、人々の暮らしや価値観に寄り添いながら理解を深めていく研究の面白さに惹かれていきました。社会学には統計データを分析する研究手法もありますが、人はどうしても自分の先入観やステレオタイプを通して世界を見てしまいます。だからこそ、まずは自分自身の価値観を脇に置き、現場で人々と同じ目線に立ちながら理解しようとする姿勢が大切だと考えています。

さらに、「自分はどの立場から物事を見ているのか」「別の立場の人ならどう見えるのか」を常に問い続けることも欠かせません。そうした姿勢が、研究における客観性につながるのだと思いました。

第三者が書いた文章を読むだけでは見えてこないものがあります。実際に現場へ足を運び、人々と生活を共にし、対話を重ねることで初めて見えてくる世界があります。その研究スタイルこそ、自分が本当に続けていきたいことだと感じ、研究者の道を選びました。

チベット族が住む青海省でのフィールドワークにて

寧夏回族自治区の教育援助対象地域で回族の女性たちと

 

【日米学生会議が育んできたネットワーク 】

日米学生会議での経験は、その後の人生にどのような影響を与えましたか。

そうですね。一番大きかったのは、「問いを持って考え続けること」を学んだことだと思います。

振り返ってみると、日米学生会議が終わってからも、私はずっと同じことを続けているような気がします。今では議論の相手は自分より若い世代になりましたが、問いを持ち、対話を重ねながら考え続けるという意味では、今もなお日米学生会議を続けているような感覚があります。

その姿勢は、現在の研究活動にもそのままつながっています。私は現代中国研究を中心に論文を執筆する一方で、社会の現場に出て多くの人と対話を重ねることも大切にしています。たとえば、講演会やプロジェクトが終わった後も、そこで生まれた問いについて議論が続くことがあります。誰かが文章を書き、それに対して別の人が意見を述べ、そこからまた新たな問いが生まれる。そうした対話の積み重ねが、私の研究活動の大きな支えになっています。

また、中国の日本大使館では経済部の専門調査員として、貧困地域における援助プロジェクトや外交業務のサポートに携わりました。その後、地方大学で教員を務める中では、大学が抱える課題や、学生たちの多様な価値観に触れる機会もありました。

そうしたさまざまな立場での経験を通して、「立場が変われば見える世界も変わる」ということを実感するようになりました。そのことを常に意識しながら問いを持ち続け、対話を重ねていく姿勢は、日米学生会議で培われたものだと感じています。

日米学生会議で築いた人とのつながりは、その後のキャリアにどのように生きていますか。

日米学生会議で出会った方々の多くが、それぞれの分野の第一線で活躍されています。私自身、中国研究を続ける中で、そのネットワークに支えられる場面は今でも数多くあります。

同期には国会議員になった方もいます。人権問題に関する勉強会をご一緒したり、中国や香港、ウイグルをめぐる課題について議論したりする機会もありました。 また、外務省や金融機関、メディア、シンクタンクなど、さまざまな分野で活躍する仲間との交流も続いています。

学生時代に築いた信頼関係が、その後の研究や仕事へとつながり、新たな活動や協働を生み出していることを実感しています。

【91年続く日米学生会議の意義】

日米学生会議には、どのような意義があると思われますか。

日米学生会議は、90年以上にわたり、多様な分野で活躍する人材を輩出し、国境を越えたネットワークを築いてきました。その歴史と蓄積には大きな価値があると思います。

一方で、私は東京大学の学生にもよく伝えているのですが、「エリート主義に陥ってはいけない」と考えています。

社会を動かす立場にいる人には責任があります。本当に大切なのは、社会の中で見過ごされがちな問題や、声を上げにくい立場の人たちにも目を向けることです。

日米学生会議の参加者の多くは、将来的に政策立案や社会の意思決定に関わる立場になるでしょう。だからこそ、自分たちの限られた世界だけで物事を考えるのではなく、多様な立場の人々の声に耳を傾ける姿勢が必要だと思います。

例えば、現在私が東京大学で担当している台湾研修では、学生たちと一緒にゼロから企画をつくり上げています。学生たちは非常に主体的で、「これはどういうことなのか」「別の見方はできないか」といった問いを次々に立てながら学びを深めています。

一方で、台湾有事のようなセンシティブなテーマを扱う際には、ポジショナリティや安全性への配慮も欠かせません。学生の中には、中国にルーツを持つ家族がいるなど、多様な背景を持つ人もいます。そうした状況だからこそ、「なぜこの問いを投げかけるのか」という目的を丁寧に共有しながら、学生自身が主体的に考え、判断できる環境をつくることが重要だと考えています。

実際、その意図を共有することで、学生たちはより積極的に意見を交わすようになりました。そうした姿を見るたびに、比較的自由な環境で学び、発言できる私たちには、より主体的に行動し、学びや対話の場をつくっていく責任があるのではないかと感じます。

国際情勢が不安定化し、インターネット上ではヘイトスピーチのような問題も広がる今だからこそ、「なぜそうした問題が生まれるのか」という背景や構造まで理解しようとする姿勢が求められているのではないでしょうか。

多様な立場の人々と向き合い、複雑な現実を理解しようとすること。それこそが、日米学生会議で培うべき最も重要な力の一つだと思います。

ご自身が運営している「あじあんコモンズ」にて。約2ヶ月滞在したウクライナ人の研究者から花束のプレゼント

 

【日米学生会議の応募を検討されている方へ】

最後に、日米学生会議への応募を考えている学生にメッセージをお願いします。

大学生という時期に、一か月近く寝食を共にしながら、学び、考え、議論を重ねる経験は、人生の中でもそう多く得られるものではありません。

その濃密な時間は、人間として大きく成長する機会となるだけでなく、社会に出た後もかけがえのない財産になります。そこで築かれたネットワークが、思いがけない形で人生や仕事につながることもあるでしょう。

そして私は、日米学生会議には、「これからの社会や国際社会をより良くしていきたい」という責任感と主体性を持った人に挑戦してほしいと思っています。

「自分たちが未来をつくるんだ」「社会をより良い方向へ動かしていくんだ」という意志を持つ人です。

日米学生会議には、英語力だけでは測れない価値があります。 日本で生まれ育ったからこそ持てる視点や、自分自身が積み重ねてきた専門性は、国際的な議論の中でも大きな強みになります。

自信を持って国際社会へ飛び込み、自ら未来を切り拓こうとする学生の皆さんに、ぜひ日米学生会議へ挑戦してほしいと思います。

 

編集後記

野添葉音(第77回日米学生会議 実行委員)
上智大学総合人間科学部2年